リスト作曲 パガニーニ練習曲 第3番「ラ・カンパネッラ」の弾き方
リスト パガニーニ練習曲 第3番「ラ・カンパネッラ」
リストについて
前回は、マリー・ダグー夫人に出会ったところまでをみていきました。
マリー夫人は当時、パリの「3大美人」といわれていたほどの人物で、騎兵隊士官の夫を持つ華やかで知的な女性でした。
出会って間もなく恋仲になった2人は、不倫関係となってしまいましたが、
当時の社会で上流階級の人々の不倫はある種当たり前のこととして黙認されていたため、社交界で白い目で見られることはありませんでした。
リストはマリーとスイスに旅行に行き、24歳のときからジュネーヴ音楽院で教え始めます。
また同じ年、彼女との間に子供が生まれ、ブランディーヌと名付けられた女の子をリストはとても可愛がります。
リストは翌年完全にパリに戻ってきます。
リスト25歳の年には「象牙の戦い」と呼ばれた、タールベルクとの競演がありました。
同時代に同じくヴィルトゥオーソのピアニストとして2人はライバル関係にあり、それに決着をつけるというものでしたが、
どちらも素晴らしいピアニストとして引き分けで落ち着きました。タールベルクと争ったリストですが、
彼に対するリスペクトを忘れず、タールベルクが亡くなった時には彼の彫像を作るために多額の寄付をしました。
タールベルクの争いを終えたリストは、マリーとイタリアに旅行に行きます。そのイタリア旅行の途中で2人目の子供コージマが生まれました。
イタリアへの旅行は2年にも及び、イタリア各地を訪れ、芸術作品や文学に触れたことで、
後に彼のピアノ曲での最高傑作のひとつになっている「巡礼の年1年」、「巡礼の年2年」などを生み出すことができました。
また、旅行中イタリア各地で演奏会を行い大成功を収めていきました。そのような中、28歳の時に3人目の子供ダニエルが生まれます。
初めての男の子でした。この頃はもうマリーとの仲はあまり良くはなかったようですが、
この年からヴィルトゥオーソピアニストとして目覚ましく活動していくこととなります。
充実する演奏活動とは裏腹にマリーとの関係はどんどん悪化していき、リスト33歳の年に2人は決別します。
演奏活動で忙しくヨーロッパ中を駆け回るリストと、そのために2人の時間が減り、彼の女性関係にも悩んでいたマリー、お互いに限界がきていました。
マリーとの間に生まれた3人の子供はそれぞれに優秀でしたが、長女ブランディーヌと長男ダニエルは若くして亡くなってしまし、残ったのは次女のコージマだけでした。コージマは知的でピアノの才能もあったようで、リストの弟子のハンス・フォン・ビューローと結婚しますが、
後にワーグナーと駆け落ちし、リストは手を焼くこととなりました。
ヴィルトゥオーソピアニストとして名を馳せたリストは、3日に1回の割合でコンサートを行い、全ヨーロッパを駆け巡りました。
熱狂的なリスト信者も現れ、大変な人気ぶりだったようです。現在当たり前になっているピアノリサイタルの形はほぼ全てリストが完成させたといわれています。
昔は、演奏会といえばさまざまなジャンルの作品が複数の演奏者によって演奏されることが普通でしたが、リストは1人で様々な作曲者の曲を演奏しました。
また、バッハから当時の現代曲まで広いレパートリーを持ち、ピアノの蓋を開け、ピアノを客席に向かって右側に置いたことなどもリストが確立していきました。
(暗譜での演奏会もしていましたが、暗譜を始めたのはクララ・シューマンだと言われています。)
当時としては珍しいベートーヴェンの曲の演奏もリストは積極的に行いました。
このように精力的に活動していたリストですが、36歳の時にカロリーヌ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人に出会います。
様々な学問や芸術に関心を持ち、博識で論争好きでした。そんな聡明な彼女に恋をし、彼女も偉大なピアニストで作曲だったリストに心が傾きます。
不倫関係になった2人ですが、カロリーヌの離婚が決まりかけ、漸く結婚できるのではとなったときに、
各所の力のあるところから尽く反対にあい、結局結婚は成立しませんでした。これにより、リストは死ぬまで結婚することはありませんでした。
結婚の夢破れたリストは、54歳で聖職者となります。聖職者となってもぜいたくな食事やアルコールなどをやめることなく、批判を受けたりもしました。
芸術家の地位の向上や、音楽を愛する全ての人に本当に惜しみなく力を貸したリストは、74歳でこの世を去ります。
様々な功績を残し、弟子にも慕われ、カロリーヌとも最後まで添い遂げました。
カロリーヌも心から彼を愛し抜き、彼の死後、後を追うように静かに息を引き取りました。
ここでは書ききれないほど女性関係は派手だったリストですが、人を大切に思い、
相手を尊敬することを知っていて、多くの人に好かれ、音楽に尽くした人生でした。
パガニーニ練習曲 第3番「ラ・カンパネッラ」
1851年に作曲された、「パガニーニによる大練習曲」の第3番がこのラ・カンパネッラになっています。
元々はニコロ・パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章のロンドの主題に使われたものをピアノ曲に編曲したものになっています。
リストがこの主題を使って作曲した作品は全部で4つに上りますが、最も演奏されているものがこの「パガニーニによる大練習曲」の第3番になっています。
小指の練習
カンパネッラとはイタリア語で「鐘」という意味ですが、リストはその音をピアノの高音で表現しようとしました。
D#の音が前奏はオクターヴで、主題が始まってからは分散されて出てきます。
この常に鳴っているD#の音を曇らせることなく、響きを持たせて弾き続ける事が冒頭パートで気を付けることです。
もちろんメロディーラインはマルカートではっきりと弾かなければなりませんが、
この曲は元々練習曲なので右手の小指をムラなく動かし続けることを意識しましょう。
トレモロの練習
後半にトレモロが出てきます。ここも同じように薬指と小指を機敏に動かすための練習になっています。
薬指と小指は他の指に比べて動きにくく筋力も弱い指なので、練習する時は無理に使いすぎず、遅いテンポから時間をかけて丁寧に練習しましょう。
4つの音をすべてはっきりと弾くのではなく、初めの音に重心をかけて残りの3つは余った力で弾きましょう。
筋力を持たせるためには脱力することが一番の近道です。そうすることで音質もやわらかく伸びのある音になるでしょう。
跳躍の練習
Piu mosso からはテンポが上がりさらに跳躍の幅も広くなります。
高音のメロディーの音程差を覚えさせるために、それぞれの音の幅を意識しながら小指のみで練習すると効果的です。
跳躍する時には、鍵盤をタッチする時に鍵盤の中心を押さえるように気を付けましょう。
ミスタッチの原因は跳躍する位置が定まらない事なので「意識しながら」練習することが大切になります。
オクターヴの練習
終結部はオクターヴの連打ですが、まずはオクターヴ自体を綺麗な響きで鳴らせるようにしましょう。
上下の音のバランスをよく考えて場面に合った音の出し方を研究しましょう。
高音域でオクターヴを使うときは基本的に上の音を出していれば問題ありません。
次にオクターヴを多数まとまりで弾く時に、全て同じ音量で連打すると重くなり音質も同じようなものになってしまいます。
ここでも拍を意識して重心を置く部分と余力で弾く部分に分けて音が騒々しくならないように気を付けましょう。
最後に全体のフレーズとの兼ね合いですが、テンポが速いパッセージなので当然重たすぎる音は合わないのですが、
con fuoco の指示があるので音の厚み自体は必要です。
全てを頑張って出すのではなく、強拍や音の高低差などでバランスよく強弱をつけていくとテンポと音のバランスが保てるでしょう。
正解は一つではないので様々なパターンを考えて練習してみましょう。
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