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ドビュッシー作曲「亜麻色の髪の乙女」の弾き方

ドビュッシー 前奏曲集第1集第8曲「亜麻色の髪の乙女」

ドビュッシーについて

前回は、ドビュッシーがローマ大賞を受賞し、ローマへの2年間留学を終えてパリに戻ってきたところまでをみていきました。
帰ってきてからのドビュッシーは様々な場所に出かけ、芸術仲間と交流を持ちながら、自分の教養と見識を深めていくことに重きを置いていました。
また、26歳の年には初めてバイロイトに行き、ワーグナーの音楽に触れて、大きな影響を受けます。
27歳は大きな変化の年となります。パリの万国博覧会でガムランという楽器の演奏を聴き、西洋の音楽とは全く違う規則の音楽であることに衝撃を受けます。
その後再びバイロイトに行き、ワーグナーの「トリスタン」を聴くのですが、自分の目指す音楽の方向ではないことに気付き、
ここから新しい別の道を進むことを決めたのです。
28歳の頃から、ピアノ曲の作曲にも力を入れ始めます。またこの年からガブリエル・デュポン(ギャビーと呼ばれる)と付き合い始め、2年後には同棲します。
あまり稼ぎのないドビュッシーが大成することを信じて、貧しいながらも彼と家計を支えていた美しい女性でした。
当時、生活に困窮していたドビュッシーを心配する友人から支援も受けるなど友人にも恵まれていた頃でした。
32歳になる年に、以前自分の作品で独唱をしたテレーズ・ロジェという女性と再会し、結婚するというところまで話が進みます。
2人で結婚式や新居も決めてしまいます。しかしギャビーとの同棲生活は続けていました。そのことがテレーズに知られてしまい、土壇場で破談となります。
テレーズに対する行動も勿論のこと、あんなに献身的に支えてきたギャビーへのひどい裏切り行為に多くの友人たちも彼を非難し、離れていきました。
騒動の後、結局はギャビーとの生活を続けることになります。
仕事にも集中し、新たに彼を助けてくれる人物も現れますが、節約を知らない彼の生活はまた困窮していきます。
しかも前の騒動からそう時間も経たないうちに、35歳のドビュッシーは浮気を繰り返します。
生活の困窮と治らないドビュッシーの浮気癖に疲れ果てたギャビーは拳銃で自殺を図ります。
幸いにも一命は取り留めましたが、もうドビュッシーとの関係は破綻してしまい、翌年完全に別れることとなりました。
ギャビーとの別れの翌年、37歳の時に、リリー・テクシエというこれまた美しい女性に求婚します。
彼女とはギャビーを交えて会ったことがありました。
リリーは彼とギャビーの一連の出来事を知っていたこともあり、初めは結婚を迷っていましたが結局受け入れます。
ドビュッシーにとって最初の結婚でした。
40歳のころには、「ペレアスとメリザンド」を完成させ、初演を行いました。
この作品は大成功となり、41歳のときにレジオン・ドヌール5等勲章が与えられました。
このことで社会的にも認められた作曲家となりました。この後、「ベルガマスク組曲」や「映像」などピアノ作品の傑作が完成されていきます。
  37歳のころから生徒だったラウル・バルダックという青年の母親、エンマに出会ったのは勲章授与と同じ年、41歳のときのことでした。
エンマは銀行家の夫に10代の時に嫁ぎました。年齢より若く見え、知的で朗らかで歌も大変上手な、社交界でも有名な女性でした。
フォーレとも仲が良かったようです。そんな女性にドビュッシーはどんどん惹かれていき、恋仲になっていきました。
妻のリリーは貧しい中で、ドビュッシーを献身的に支えていました。
そんな彼女に正直に別れてほしいと言うことなく、42歳のドビュッシーはエンマとの不倫旅行にでかけます。
その旅行で訪れたジャージー島で、彼の代表作でもある「喜びの島」を完成させました。
この曲は愛する人とともにいる喜びと活気に満ちた作品となっています。
そして、この島でリリーにも別れてほしいという手紙を書きました。幸せを感じていたドビュッシーとは逆に、
愛する夫から別れを告げられたリリーは拳銃自殺を図ります。彼女もまた一命は取り留めますが、
2度も女性を拳銃自殺未遂に追い込んだドビュッシーからは、多くの友人が離れていきました。
ドビュッシーとリリーの離婚が成立し、エンマの方も銀行家の夫と離婚し、2人は漸く一緒にいることができるようになりました。
エンマはドビュッシーの子供を妊娠しており、ドビュッシーが43歳のときに生まれた女の子はシュシュと名付けられました。
ここからは、ドビュッシーも漸く落ち着き、シュシュをとても可愛がりエンマとも何とか生活を続けることができました。
47歳のころから体調不良に悩まされますが、演奏旅行を続けていました。
53歳のころに直腸癌と診断され、手術を受けますが治ることはありませんでした。
そんな中演奏旅行や作曲を続けますが、55歳のときにこの世を去ります。愛する娘シュシュも翌年亡くなります。
ドビュッシーはとても不器用で頑固で優柔不断で、周りの人々に対する感謝の念や思いやりもあまりなく、
悪人とも言える人物ですが、彼の作品には周りに影響されず、自分の信念を貫き続けた美しさとパワーが溢れています。
新しい道を切り開く時に、それだけのパワーがなければ成しえなかったのかもしれません。

ドビュッシー 前奏曲集第1巻より第8曲「亜麻色の髪の乙女」

前奏曲集第1巻の8曲目のこの曲は、ルコンド・ド・リルという詩人の1852年に発表された「古代詩集」から「スコットランドの歌」という詩集の中の「亜麻色の髪の乙女」という詩に基づいたとされています。
この詩人はフォーレ、ショーソン、フランクなどの歌曲作品にも取り上げられています。
「亜麻色の髪の乙女」の詩は夏の朝に乙女がムラサキウマゴヤシの花畑で歌っているところから始まり、
主人公の視点で亜麻色の髪の乙女に求愛する様子が書かれています。

全体的な注意

この前奏曲集はそれぞれにタイトルがついているが、楽譜の最初に書かれているのではなく曲の終りに「」かきでさりげなく書かれています。
これは演奏時に固定概念に縛られないようにと、ドビュッシーの配慮からなされたものです。
つまり見方を変えればこの曲のイメージは何も「亜麻色の髪の乙女」でなくともいい、ということになります。
標題音楽として捉えなくてもよし、別のイメージを膨らませてもよし、という風に弾き手に任せられたものになっています。
あなたはどんなイメージでこの曲を演奏しますか?

まるで歌うように

上記の詩の内容によると、夏のさわやかな朝に亜麻色の髪の乙女が歌っていて、ひばりと愛の天使の歌声も聞こえてきます。
つまりこの曲は歌うようになめらかに丸みを帯びたメロディーであるのが好ましいと言えます。
器楽的に演奏するよりも声楽的に演奏することを心がけましょう。
具体的にはレガート奏法に気を遣いましょう。ただただ音と音をつなげるのではなく、
手首と腕のしなやかさを使って音の重心をなめらかに移動させていきましょう。
まるで1回のタッチでメロディーを弾ききったように聴かせましょう。
強弱のつけ方、フレーズの作り方、タッチ、全てが噛み合っていないと最初の2小節は美しく聞こえないので、
レガート奏法とは本来どうするものかをよく考えて練習しましょう。

情景を想像して

元々が詩だったものに影響を受けて作曲されているので、そこにはイマジネーションが必ず存在しています。
冒頭のTrès calme et doucement expressif (非常に穏やかかつ優しい表情を付けて)に始まり様々な曲想やテンポの指示がありますが、
いま弾いている部分はどんな情景なのかをイメージして弾くことが重要になってきます。
テーマが1オクターヴ高く演奏されるときにはtrès doux (非常に優しく)の指示があったり、
曲の終結部にはMurmuré et en retenant peu à peu (ざわめくように、そして徐々に収まるように)など、
まるで花畑が風に揺られているような文言が現れます。
その指示によく気を配り一つのストーリーを作り出すと、とてもいい演奏になるでしょう。

まとめ

この曲では一番強い強弱記号がmfですが、ほとんどをpやppで弾くことに囚われすぎると全体的にぼやっとした印象になってしまうので、相対的なpの音量を探すとよいでしょう。

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