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ショパン作曲「子犬のワルツ」の弾き方

ショパン ワルツ第6番 変ニ長調 作品64の1「小犬のワルツ」

○ショパンについて
前回はショパンの出生からパリに到着するところまでを見ていきました。
絶望の中でパリにたどり着いた21歳のショパンは、なんとか住まいを見つけ、ワルシャワから亡命してきていた知人にも会うことができました。
そしてフランツ・リストを紹介されます。当時20歳だったリストは、ショパンの1つ年下でありながらパリで最も注目される音楽家のひとりとして演奏会にも引っ張りだこでした。出会ったときリストは一目でショパンに魅了され、その後も何かとショパンに世話を焼きます。
またメンデルスゾーンとも再び出会います。メンデルスゾーンもショパンには強く憧れていたようです。
そしてパリで出会い一生の友情関係となった人物の一人に、デルフィナ・ポトツカ伯爵夫人がいます。
容姿も美しく、声楽の才能に恵まれていた彼女は舞踏会でもサロンでも人気者でした。
パリに到着してすぐのショパンは、レッスンとサロンでの演奏会で何とか生活をしていました
。しかし、ポーランドから亡命してきた貴族や、リスト、メンデルスゾーンらのおかげで少しずつ、社交界によばれるようになります。
その社交界での様々な出会いで、レッスンもサロンでの演奏も盤石のものとなっていきました。
指導者としてのショパンは、本当に最高だったと多くの弟子たちが語っています。
練習時間の合間には良い本を読むこと、彫刻や絵画などの素晴らしい芸術作品を鑑賞すること、散歩をすることも勧めていたようです。
ショパンはピアノを弾く時に、集中力と想像力が必要で、一番大切なのは聴くことと耳を傾けることであり、それが筋肉の動きとリラックスを生むと考えていました。
そのため、生徒たちには身体全体を柔らかくするよう繰り返し伝えていました。
丁寧な指導で決して手を抜くことのなかったショパンの指導者としての名声はヨーロッパ中に知れ渡ることとなりました。
25歳のとき、待ち望んだ両親との再会が実現します。
喜びの絶頂にいたショパンは同じ年、ワルシャワ時代の知り合いだったフェリクス・ヴォジンスキの妹、マリア・ヴォジンスカにも再会します。
久しぶりに会った彼女は美しく成長していて、すっかり惚れ込んでしまいます。
マリアとの仲が深まるにつれて、もともと身体の弱かったショパンの体調はどんどん悪くなりました。
吐血を繰り返し、家から出られないためショパンは死んでしまったのではという噂が流れるほどでした。
なんとか体調が戻った翌年、26歳のときにマリアと婚約します。しかし、翌年ショパンの健康を危惧したマリアの両親の反対により、2人は別れることとなりました。
ショパン26歳の10月末に、ジョルジュ・サンド(本名アマンティーヌ・オーロール・リュシル・デュパン)と出会います。
当時、サンドは女性作家として有名であり、男性関係も女性関係も派手な私生活もまた有名でした。
ショパンはサンドに初めて会ったとき、女性としての魅力を感じなかったようですが、2人が親しくなるのに時間はかかりませんでした。
サンドはマリアの存在を知りながらもショパンを愛すようになっていきます。2人が破局したあとは、何度も自分のノアンの館に誘います。
しかし、マリアとの婚約破棄の傷が癒えていなかったショパンは気持ちの整理がつかず、なかなかサンドの誘いにのることができませんでした。
2年後、28歳のときに漸く彼女のノアンの館に向かいます。サンドは母のような慈愛でショパンを迎え入れました。
作曲面では多くの傑作を生み出す一方、ショパンの体調は日ごとに悪くなっていきます。身体のために冬はパリ、夏はノアンでの生活が始まりました。
神経質で病弱なショパンをサンドは母親のように守りますが、このような恋人というより、母と息子のような関係にお互い次第に疲れ始めます。
ショパンが37歳の時、サンドの娘ソランジュの結婚問題で2人は決裂します。
娘ソランジュの結婚相手が許せず、娘のことも許せないサンドに、ショパンはソランジュの味方であるという内容の手紙を送り、それがきっかけとなってしまいました。
サンドにはサンドの言い分があり、ショパンにはショパンの考えがあり、相容れないものでした。
サンドと別れたショパンはロンドンへ向かいます。体調も悪く、パリ時代と違いお金にも困ったショパンは孤独と絶望の日々を過ごします。
友人や弟子はみんなショパンを心配し、助けようとするのですが、ショパンの身体はもう限界を迎えていました。39歳の10月、ショパンはこの世を去ります。
葬儀はパリで行われ、パリの著名人がほとんどつめかけたと言われています。ショパンの心臓はその後、故郷のワルシャワの教会に収められました。
ロンドンへ行くときから死ぬまでショパンはサンドの髪の毛をお守りのように小さな袋にいれ、彼女から送られた手紙も大事にまとめて持っていました。

ワルツ第6番 変ニ長調 作品64の1「小犬のワルツ」

ショパンのワルツといえば、この曲を連想する人も多いのではないでしょうか。
ショパンの恋人であったジョルジュ・サンドが小犬を飼っていて、自分のしっぽを追いかけてぐるぐる回っていたその犬の様子を、
音楽で描写したのがこの曲であると言われています。

全体の注意

テンポがMolto vivace(元気な、活発な) 、曲想がleggiero(軽やかに) という指示があるので、とにかく軽く速く弾かなければなりません。
テンポの目安ですが、一小節を一拍として無理なく数えられる程度の速さがいいでしょう。
その理由は3/4拍子の曲を1,2,3…と数えてしまうと、どうしても重たくなってしまいがちなので、
1小節を1拍、4小節でひとまとまりの4拍子のフレーズとして考えれば澱みのない流れで演奏することが出来ます。
9小節目にフレーズの盛り上がりがありますが、ここからの9~12小節を1小節として考えればこの9小節目は1拍目(強拍)となりクレッシェンドがとても合理的だと言えます。その後、11小節目で同じパッセージがもう一度出てきますが、3,4拍目と考え次の13小節目に繋げるように弾きましょう。
このように拍の感じ方を4拍子で捉えるとこの曲はとても弾きやすいのです。中間部sostenutoからも同じ感じ方で演奏しましょう。

右手のタッチについて

前述した通り、この曲はとにかく軽快に弾かなければなりません。
いくら小気味いいテンポで演奏できても、音自体が重ければ曲の雰囲気が崩れてしまいます。
そこで鍵盤をタッチする時は、出来るだけ指先の動きを最小限にし、素早くタッチしましょう。
この時、音がこもらないように小さくても滑らかにハキハキと喋るようなイメージで弾くとよいでしょう。
バレエのトウシューズを履いてステップしている軽やかさを、指先のタッチに置き換えてイメージするといい練習になります。

左手について

それぞれの小節、2,3拍目の和音が最初の音よりも強くならないように気を付けましょう。
これを強くしてしまうと太った犬がぐるぐる回っているような、ものすごく重い印象になりますので1拍目の音1つと
、2,3拍目の和音の3つの音のバランスをよく考えて演奏しましょう。

中間部について

中間部自体は32小節と短いものですが、前半後半それぞれで弾き方が変わるので全く同じにならないように注意しましょう。
前半16小節はしっとりとした歌うようなメロディーが続きます。
右手は1音1音つやのある音を出し、左手は右手を乗せるハーモニーごとの音の違いを大きさや音の厚みに反映させるように意識しましょう。
後半は装飾音のAsを軽く鈴の音の様に聴かせ、前半に比べれば全体的に軽く弾くと対比が生まれてよいでしょう。

まとめ

この曲はつくり自体は単純なA-B-A形式ですが、細かい音を粒と音質を揃えて弾くのが意外と難しく、
指先のコントロールと手首と腕のしなやかさを上手く使わなければなりません。
それぞれのパッセージでどんな音が求められているのか、どんな演奏法が合っているのかをよく考えて練習すれば、
素晴らしい演奏が出来るようになるでしょう。

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